離島の薬剤師はこの程度レベルか?都会の薬剤師希望!!

このの年齢になってやっとわかった病気と私が出会った離島の不誠実な薬剤師。
私は人生を半世紀と少し生きてます。
そして長く苦しんでたけど、1年ほど前に 「双極性感情障害」 と診断されました。

私は物心ついてから、人とは違う違和感を感じていたんです。
大人になってからもずっとそうでした。

調子がいい時は、何でもできるような高揚感があるんだけど、ひとたび落ち込むと底なし沼のような感じで。。。。
色でいうと白か黒しかないような感じとでもいうのかな。。。
グレーのような中間色がないという感じ。
カッとなると抑えがきかなくて、言っちゃいけない事も口をついて出てしまうありさまで、それはそれで自分なりに大きな悩みの種だったんだよね。

去年の2月にネットで見つけた調剤薬局に行ってみたんだけど、そこですぐに「双極性感情障害」と診断されたのね。
薬剤師のいう事は、適格に当たってて「やっと納得いく調剤薬局が見つかった」と思えた。

そこで調剤された薬が 「ラミクタール」 という薬。
即効性があるから、貴方には利くはずと、案の定効果がすぐ出て、楽になれた。
と思えてた。
飲み始めて、一ヵ月ほどしてところどころに発疹が出始めて、頭もかゆくなり始めた。
くすりの影響だとは思わないから、そのまま飲み続けていたら、ある日突然全身に蕁麻疹がでてびっくりした。
皮膚科にかけこんで、話をしたところ「ラミクタール」の影響だという話。

この薬、調剤を間違えると死に至る可能性があり、実際になくなっている人もいる薬。
厚生省からもブルーレターの注意喚起がでてる薬。

その薬を調剤するにあたり、最初は1錠からのところいきなり2錠の調剤をされた私。
そのうえ、薬の副作用に関しては一切説明がなかったんだよね。
ネットで見てたら「異常があればすぐに報告して下さい」と薬剤師からの一言があるべきところなのに、それも一切なくてね。
発疹が出て、改めて心療内科にいき

1.本来説明があるべきところなのになかったこと
2.本来1錠からなのに、いきなり2錠からだったこと
3.異常が出れば、すぐに報告すること

の説明がなかった旨を怒りまみれでぶつけると「それは薬剤師から説明するもの」という返事。
あくまで調剤するのは薬剤師なのに!!
薬剤師だからといっても所詮離島の薬剤師はこの程度ですか!!(怒)
きっと都会の薬剤師ならこんなレベルではないはず。都会の薬剤師の皆さ~ん!!是非離島にお越し下さい。>>離島で薬剤師求人を探すなら
どこも患者に対して誠実な対応をしているとは限らないんだなと・・・・この年になって知りました。

介護士や看護師に要求ばかりするのは・・・

私は、施設の介護福祉士をしている男性です。
介護施設であまりニーズを求めない方がいいですよ。何故なら、介護職員は人手不足と給料が安くて、認知症の利用者さんをケアしています。家族が利用者さんへのサービスを求めすぎてしまいますと、介護職員は疲弊して、精神を壊してしまうからです。

例えば、認知症の利用者を転倒させてしまうのは、絶対駄目で、しっかりケアしなさいと言ったすると、介護職員は利用者さんを転倒させないようにケアします。転倒させれないというプレッシャーが、すごく疲れた介護職員をたくさん作ってしまい、離職率をあげてしまいます。確かに最低限の利用者さんのニーズは受けとることですが、毎日行事を開催して欲しい、国内旅行に行って欲しいなど、かなりレベルが高いニーズは現場が混乱してしまいます。もしも、国内旅行に行きたいなら、家族が利用者さんと一緒に行けば問題ないです。

介護施設で必ずニーズを求めていいのは、虐待しないで欲しいことは施設側に言ってくださいね。虐待もいろいろありますが、暴力、暴言、介護放棄、無視などありますよ。当たり前のことですが、施設介護で虐待がまだまだ全国にたくさんあります。確かに、介護職員はストレスがたまりますが、虐待は起こさないように努力義務をしなければいけないと思います。介護のニーズであくまでも常識的なものは、求めても大丈夫ですよ。たとえば近場の買い物に行きたい、散歩を毎日したい、リハビリをしたいなど、現実的なニーズなどです。

介護施設はプロの職員がたくさんいるから、何でもお願いすればやってくれるとお願いすればするほど、介護現場は疲弊してしまいます。今は、介護の現場は工夫して時間作りや、利用者さんへのケアの仕方を工夫して、利用者さんからのニーズや家族からのニーズを叶えてあげるために業務改善してますが、なかなか上手くいかないのが現実です。もちろん、利用者さんと家族の方からのニーズをどんどん叶えてあげる現場にはしたいです。これは介護だけでなく、看護などでも同じだと思います。神戸で看護師をしている知り合いがいますが、患者さんの家族からの要求がエスカレートして辛いと転職したそうです。<<看護師 求人 神戸>>

介護する側も看護する側も同じ人間です。あまりにも非常識な要求をしてストレスを与えてしまうと、スタッフが離職してしまい、ますます利用者や患者さんにも不利益になるのてはないでしょうか。

20代は一番好きな人とは、結ばれない。でも30代は婚活サイトで運命の人に会える

私は、大学生の頃、新聞奨学生をしていました。少し貧乏な家で育った私は、三姉妹の真ん中で、姉は1歳上です。

姉が大学に進学した後、私まで大学に行きたいと両親には、とても言い出せなくて学校案内より、新聞奨学生というものを見つけました。
住み込みで、朝刊、夕刊を配りながら、4年間通うのです。住居代、大学費350万、毎月の給与約8万をもらえます。大学の近くの新聞販売所に住み込むのですが、一人暮らしも電車に乗るのも初めてだった私は、不安でいっぱいでした。
でもすごく過酷な労働を想定していたので、思っていたより楽に働けました。
何よりも同じ世代のアルバイトの男の子も多く、助け合っていたので頑張れました。彼らの中に、とびきりのイケメンが一人、背が180㎝はあり、V6の岡田君によく似ていました。特に何の意識もしておらず、朝刊の時に会っていたので、夜中の1時の為、服装もスエットで、化粧ももちろんしておらず、恋愛対象になんて見てもらえてる訳がないと思っていました。そんなイケメンなら、彼女もいるだろうし、自分から告白なんてしたこともないし、自信もなかったので、仲の良い友達という感じでした。
ある日の朝刊の時に、帰りが一緒になり、突然彼より、「連絡先を教えておいてくれない?」と言われ、少し驚いたけれど連絡先を交換しました。
すると毎日メールが来るようになり、色々相談にも乗ってくれるようになりました。私は彼に出会う前に他に好きになった人がいて、付き合うかどうか悩んでいる所でした。その彼は、なかなかメールの返信もなく、いつも不安で私の事を本当に思ってくれているのかどうか、疑問を抱くようになっている所でした。そんな中、イケメンの彼に相談した所、「俺じゃあかんの?」と言われ。

すごく胸が痛くなったのを今でも覚えています。私は、まさかの彼からの告白に、絶対彼と付き合いたいと思いました。でも私をほったらかしで、相手もしていなかった彼が、気になる人ができた事を打ち明けると、態度が急変し、とても優しくなり私の事をものすごく大事にしてくれるようになりました。ものすごく理想の彼と付き合いたかったけれど、人は一番好きな相手とは結ばれない運命にあるのかもしれません。

20代の苦しい思いを乗り越えて、今30代になって運命の人と婚活サイトで出会いました。このサイトのおかげです。
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冬の夜伽と翁の背中

病院 入院旅先で病に侵された知人が、治療の甲斐無くこの世を去った時のことです。

暇を見つけては電車で遠路はるばる見舞いに通ったのですが、見舞いの度ごとに精気が失われてゆくのが素人目にもはっきりとわかり、とても悲しかったです。
しかし、私にできる唯一のことは、励まして病魔に打ち勝たせることだと思い切り、決意して振る舞いました。

何度か病状は回復したものの、結局は病には勝てず、人生を思わぬ土地で全うすることになりました。
無念だったと思います。
病院の関係者は良く尽くしてくれたと思いますが、私の心残りは、最期の場に立ち会えなかったことです。
危ないかもしれないということを知人の家族に知らされ、最終の連絡電車でかけつけた時は山を越えたようで、やや安心して家族の用意してくれた安宿で一夜を過ごすことにしました。

翌朝、病室を訪ねると知人の姿はそこにはありませんでした。
しまった!、と心の底から思いました。
家族の方を見つけて経緯を聞いたところ、真夜中過ぎに急に亡くなったとのことでした。
呼ぶ手段も無く(携帯が普及するはるか以前の話です)、既に亡くなってしまったので朝を待ったとの答えを聞いた時、悔悟の念が湧きあがって来ました。
今回もいつもと同じように持ちこたえてくれる。そんな甘い考えがあったのも事実です。

最期の面会の時に、もっとましな話をしておけばよかった。でも、もう遅い。一緒に時を過ごす機会は永遠に失われてしまったのだから。
幸い、私はまとまった休みに入った時でしたから、せめて最後のお別れはしたい。霊安室に移された知人とその家族の方々と、その夜を過ごすことにしました。
ロウソクと線香が絶えないように番を続け、仏様を見守りながら思い出話を続けてお互いを慰める。私にできた唯一の行為でした。

用を足しに病院の本館へ戻ると、冬の夜の病院の冷たい空気が身も心も凍えさせました。
物心がついてからの最初に直面する、身近な人間の死だったからです。
いつもは人で溢れかえる待合室に、松葉杖を傍らに座っている老人の姿が目に入りました。
いつもなら気に留めることなく立ち去るのですが、妙に人恋しくなり、声をかけてみました。
その人は自分の病状を私に語り、私は「家族を亡くしたばかりだから、お大事に」と言って別れました。

外は雨が降り続き、故人との別れの雰囲気を演出するには絶好の条件でした。
翌朝、顔を洗いに本館へ戻ると昨夜の老人が同じ場所で別の老人と話をしていました。
彼は私を見ると、「さっき話した人だよ」と、私の方を指さして連れの方に話したのが聞こえました。
見知らぬ者同士でも、心に共通する痛みを抱えていると通じ合える何かがあるのだ、と私に教えてくれたのです。

簡単な式を終え、荷物の整理を手伝ってから家族の方と別れました。
それ以来、一度も会う機会は無く、恥ずかしい話ですが知人の墓所さえ知りません。
でも、私の心の中では彼は未だに生きています。